「こう」です。ご覧頂き、大変有難うございます。

今日のテーマは「記憶のいい加減さと有難さ」です。

結論は「30年前の記憶が恥ずかしいほどいい加減でした、でもそれで心の幸せとバランスを取っているように思います」です

先週まで偽りない事実と思っていた記憶をまず書きます。1990年頃、好きだった作家の全歌集が出ました。渋谷パルコの本屋さんで偶然見つけると、何と1万円くらい。普段なら考えるまでもなく買えないのですが、ポケットに前日即払いでもらったバイト料がちょうど1万円くらい。アパートにはインスタントラーメン何個かと実家が送ってくれたお米が来たばかり・・や次のバイト料が入るのは1週間後・・・や今この機を逃したら、売り切れていつ出会えることやら・・・と1時間以上思案し、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入。1週間はお茶漬けばっかり食べながらも、厚み10cm以上ある歌集をゆっくり読みほぐして、至福の時間を過ごしました、なのでした

何度か書かせて頂いたのですが、メルカリを時々しています。この思い出の本も、もし必要としてくれる人がいれば、本棚の肥やしのままより、好きだった本ゆえに次の人にバトンタッチして読んでもらえたらと思い、出品してみることにしました。写真を撮り、バーコードはないので、作者・題名を手打ちし、発行年を見ようと裏表紙を開けて、第1版(初版)となっているのをみて、そうでしょ、と思いながら発行年を見て、目が点になりました。”1992年発行????”となっており、それが事実ならもう社会人になっており、記憶と事実が甚だしく違ってきます。

事実だと思っていた記憶ですが、どれも部分部分が事実で、想い出の組合せをしていたのかもしれません。自分の過去を美化するための組合せでもなかろうとも思うのですが、自分の中の何を作りたくて、この思い出になっているのでしょう?自分では判りません。

恥ずかしながら自分の記憶と事実は、どうもちょっと違うことは認めざる得ない上で、でも記憶がこのくらいいい加減かつ自分で作ることができるがゆえに、助かっている部分、生きていける部分があるのかな?と思いました。今までの人生で、死ぬほど恥ずかしいことも、たくさんあったのですが、ちゃんとそれはなかった事にしたり、記憶をすりかえてくれているように思います。

今日メルカリでこの本を買ってくれる人が出て、発送するために、包装をしながら何度も心込めて本を拭いています。記憶の違いは別としても、心揺さぶられた大事な本と思い出です。ちなみに恥の上塗りなのですが、定価も7000円で、記憶は購入価格も高めにしていた次第です。

最後までお付き合い頂き、心より感謝いたします。良い日をお迎え下さい。

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