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今日のテーマは「50代早期退職生活 最大の痛恨 早すぎる友との別れ」です。

結論は「友人とは遠慮せずに、会える時には会っておく、連絡もちょくちょく入れる。」です。今年、学生時代の友を亡くし、どうして去年・今年、連絡しなかったのか、連絡してこなかったのか?。。。後悔と痛恨の思いがやみません。

今年前半に思わぬ訃報をもらいました。学生時代の親友が亡くなったとの連絡です。もう訳も分からなくなり、何人かの知り合いに連絡の上、その週後半の通夜・葬儀に行く段取りをして、たくさんの心乱れる想いで友とのことを考える1週間を過ごしました。

友とは学生時代の4年間、授業もバイトも旅行も遊びも、寝ている時間以外の8割くらい一緒にいたように感じています。友達と呼べる人間が少ない自分にとって、おそらく向こうも文句なしに友と呼んでくれる、数少ない、かけがいのない友人です。そして、とても心地よく、大切な4年の学生生活が終わり、友人たちやわたしも、就職しました。友人たちのなかでは、友と自分がいわゆる大企業と呼ばれる会社に入りました。ユニークな専攻学科だったので、多くの人は比較的ユニークで、多様な職業を選ぶケースが多かったようです。

5年ほど前、友と飲んだ時(結果的にいつでも会える、相手も忙しいだろうし、などあれこれ思い、これが友との最後の会食になってしまいます)、やはり学生時代と変わらぬ人柄や様子で安心したのと、傍からみれば大手企業でそれなりの役職、支えてくれる奥さん、がんばっている娘さんと、どうみても幸せを手にして、家庭を大切にしている会社員に見えました。

5年後の今、友は亡くなり、自分は早期退職して、友とのたくさんの思い出や、友の人柄、本当は友にしようと思っていた、いくつかの自慢話を何度も何度も心の中で繰り返しています。それにしても早すぎる別れに、会いたい友に、会いに行かず、会えないままに別れを迎えたことを痛恨に思っています。友や自分は人生でどんな背伸びをしたのか、どんな楽しみや喜びがあったのか、どんな苦労をしたのか、一番語り合いたい人間が、すでにこの世にいません。それを受け止め、内省し、後悔し、出会えた幸せなどを思い、・・・これをずっと繰り返していきますし、もう会えない友との会話方法はこれしかないと思っています。彼がいる、ということだけで大きな心の支えでしたが、友はもうこの世にいない、ということを受け止めていかざるえないのは、心にぽっかり穴があいたような思いです。

亡き友への惜別と、残された仲間は、遠慮せずに会える時には会っておく、連絡もちょくちょく入れるを、この何か月とても強く思っています。葬儀で再会した友人たちも含め、会えるときには会って、連絡もちょくちょく入れることは実行し、昨日も遠路友人が来てくれて、友への献杯と旧交を温めることができました。

最後までお付き合い頂き、心より感謝いたします。良い日をお迎え下さい。

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