「こう」です。ご覧頂き、大変感謝です。

今日のテーマは「早期退職生活 モノレールに映った顔」です。

結論は「顔は人生の縮図の1つ、と思いました」です。

冗談か作り話に思われるかもしれませんが。10年少し前に仕事が相当立て込んで、心身ともにテンパっていた頃の話です。最終の飛行機で羽田空港に着いてモノレールに乗っていました。ご存じの通りモノレールは窓ガラスが大きいのです。そこに映っている、とても疲れたスーツ・ネクタイ姿のサラリーマン風の人を見て、”ここまで疲れた顔してるなんて、、、とってもかわいそうだな”なんて思いました。

その疲れたサラリーマンの人が携帯見たり、髪をかき分けたりする仕草と自分の行動がとても似ているな、と思った瞬間、驚愕もしましたし、”自分だったのか”と思い知った瞬間でもありました。

昔から、身なりや美容に無頓着で、最低限の身支度をする程度で、鏡で自分を念入りに見たりしたことがありません。さっきの例に限らず、何かの拍子のある日突然、自分ってこんなにおじさんになってた?こんなに髪の毛減っている?こんなに肥満している?こんなにしわのある顔になっている?と気づかされて、定期的にショックを受けます。

似たような話なのか、全然違う話なのか微妙ですが、この前家の掃除をしている時に、(結果的にはドア窓と鏡の二重反射で映っている自分に対して)亡くなった親父がなんでいるのかな?と思ってびっくりして手を止めました。ふだんは霊的なものや、そういうものと遠い感じで生きている自分なのですが、父親が生き返ってきて、そこにいる錯覚を一瞬ですが真剣に思った次第です。

若い頃は親父と外見はそう似ていないと自分では思っていましたし、そう信じていました。それがいつの間にか、自分で自分を親父に間違うくらい、似ている部分が多くなってきていることに驚きです。

自分で思う自分と、鏡に映る自分には随分差があるなという話です、そんな当然のことを!と言われると恥ずかしいのですが、わたし自身は自分が思う自分と、鏡のなかの自分に大きな違和感を持ちます。

そんなことを思っていて、いまさら気付いたのですが、では他人が思う自分は、もっともっと自分が思う自分と、違うんだろうなということです。

せめて明日からは、若干でも第三者の視線を持てるように、朝の身支度の時にはもう少し自分の容姿を鏡でしっかり見てみようと思います。

いい顔とか、あまり男前でない顔とかの外観ではなくて、否応なくある遺伝もコミコミにしながらも、生き様が顔に出るんだなと思います。若い頃なら嫌だった親父が自分の鏡の中の顔にいることを、今は少しですが、いとおしく思えたりもします。

最後までお付き合い頂き、心より感謝です。良い日でありますように。


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